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             当世恋愛気質 その2


                           権兵衛党





 /

「という訳で新歓の劇の役割分担についてだが――」
「……ちゅーか、なんでまだ脚本出来てないねん……」

 ボソッと囁かれたツッコミに壇上の我らが素人演劇サークル、その名も『スマトラトラ
の穴』代表兼脚本担当、鷹取勇はギクリと身を震わせたのであった。実にわざとらしく。
 やれやれ。










 /

 うららかな日差しが少なからず眠気を誘っていた。
 桜はとっくに葉桜へと変わり、日差しが少しずつ強くなっていく季節。
 窓の外はよく晴れてまさに碧空というにふさわしく、ぞろぞろと移動する学生達は陽光
の直射を避けるように目を細めて歩いていた。真夏とも違う、一年でもっとも目映い明る
さを感じる季節。
 そのコントラストのせいか講義室の中は影の色が濃く、気だるい雰囲気が漂っている。
 毎度おなじみの講師は毎度似たような話を繰り返し、学生達はのきなみ毎回放たれる
催眠言波の餌食となり果てて討ち死にしていた。
 ……いや。似たようなというか、まったく同じ話を去年聞いたで? 時間割間違えて
へんか、あの先生。単位くれるんやったら別にええけど。
 本日の講義も現代日本の学生らしく、タラタラと始まってタラタラと終わった。
 当事者の一人であるあたしが言うのも何だが、実に日本の将来が危ぶまれる光景である。
 ほぼ真っ白なままのノートを閉じ、ぼったくり値段としか思えない教科書をかばんに
仕舞う。本日の講義はこれにて終了。

「鈴子ちゃん、今日はどこ行くー?」

 それはさておき。
 古めかしい階段状の講義室の一体化した机と椅子と背もたれの列の間を、優子がいそ
いそとこちらに駆けてきた。
 今日は淡い桜色のサマーセーターの上から白のパーカーを羽織り、下はめでたく
クリーニング屋から帰還したグレーのキュロット姿。春から初夏にかけての明るい季節に
よく映える。ちなみに、花見の折に問題となったフレアスカートは、残念ながらまだ入ら
ないらしい。三日ほど前に気まぐれで早朝の散歩に出た折にはジャージ姿でテケテケ
走っているのを見かけたので、一応地道な努力はしているようなのだが。
 かく言うあたしはと言えばジーンズで上は薄い青と白のチェックシャツである。ちなみ
にメンズだったが安かったのでよし。気にしない。
 髪はまとめて束ね、目立たない髪留めをあしらっている。地味系なれど、それはそれで
ほのかに色気が漂う眼鏡美人――であるかどうかは不明だが。

「その前に今日はサークルの会合やで?」

 教科書の分重みを増した鞄に腕を通しながら指摘した。
 普段は出たり出なかったりのサークルなのだが、この間の花見のような時には大体ほぼ
全員が集まる。逆に言えば、ああいう時しか全員が集まることはない。
 素人演劇サークル『スマトラトラの穴』。もし今後この名前を決めたという初代代表と
会う機会を持つことが出来たなら、そのネーミングセンスの是非についてたっぷりと語り
たいと思う。できれば拳で。
 別段スマトラ虎に文句がある訳でもベンガル虎やアムール虎が好きな訳でもないけれど。
むしろ、なぜトラ。
 演劇サークルと銘打ってはあるが、その内実は真面目に演劇を極めようなどと思ってい
る面子は一人も居ないといってよく、素人がより集まって時折素人演劇を行い、後は打ち
上げと称して飲み会を企画するばかりのサークルである。
 それでもこの春首尾よく幾人かの新人を得て、新入生歓迎演劇を興行しよう(そして
第二部、新観コンパに雪崩れ込もう)という運びになったのだが。
 あろうことか、肝心の脚本が上がってこないのである。
 何を上演するかがまったく分らないので役割も台詞も何も決まっておらず、白紙も同然。
いや、白紙そのものの進行状況。
 遅れに遅れてせっつかれまくった挙句、今日までにどうにかするから、と代表兼脚本
担当は約束した。

「やから様子見にいかんと」
「むー……たぶん無理だよ?」

 公約に対する優子の見解。
 そして根拠。

「昨日、裏庭に逆五芒星描いて、鶏の死体を生贄に怪しげな像にブツブツ祈ってたから」
「追い詰められてんなぁ……というか、鶏の死体?」

 優子情報から聞き捨てならぬ事を耳にして、ギョッと振りかえる。
 他はともかく鶏の死体ってなんやねん。まさかとは思うがどっかの農家から盗んできた
んとちゃうやろな? もし、そうやったら通報せんとあかんねけど。
 けど部室裏が鶏の血まみれになってたりしたらいややなぁ……気持ち悪い。
 こちらの内心に気づかぬ風情で隣の優子は軽くうなづく。

「うん、フライドチキン6ピース」
「なるほど、鶏の死体な……」

 チキンやからなあ、あの男。
 鶏を盗んだり解体する度胸はないか。
 フライドチキンを購入するチキン、という字面はどうかと思うがまあ盗難騒ぎとか血痕
騒動なんかよりははるかにマシである。

「後で二人で半分ずつ食べました」
「しかも喰ったんかい」

 そしていつまで経ってもスカートが入らない筈である。
 まあそれはもう本人の自制心に任せるしかないとして。

「……とりあえず、大まかなあらすじと必要な役くらいは出来ているものと期待する」
「はかない希望だと思うけど。それじゃ、お昼は学食だね」

 時間もほどよく、会合までにはまだ少し間がある。
 優子の提案通り学食へと向かいながら、あたしはぼんやりと他の事に思いを馳せていた。
 あの例の花見の折の事を。










 今年の春に行われた花見の席で、ちょっとした事件があった。まあアレを事件といって
いいのかどうかは微妙な所だが、少なくともあたしにとっては事件である。
 元はと言えば自分で蒔いた種から発生したあれやこれやで、結果的にあたしはファースト
キスを無意味に体験し、周囲から優子と百合な関係と目され、一年越しの片思いに完膚
なきまでに終止符を打つ羽目になった。
 アレ以降のあたしの人間関係は、守綱君からは微妙に避けられ、優子には嬉しそうに
擦り寄られ、周囲からは生暖かく見守られている感じである。目の前であの場面を目撃さ
れてしまったとはいえ、守綱君から避けられるのは今もって結構傷つく。しかたないけど。
 華子とはしばらくの間ギクシャクしていたが、多分に先方の大雑把な性格のおかげで
いつの間にか元の通りに軽口を叩き合うようになっていた。ここは問題なし。流石は女子
高時代からの友人である。
 問題なのは優子との関係で、表向き「特に変わりなし」なのだが……その、なんだ、
ズブズブと深みに嵌りつつある自覚がある。
 部屋に来るとそそくさと、壁に背を預けて座るあたしの脚の間にポテッと座って寄り
かかってきたり、そのままエヘヘと嬉しそうに微笑まれたり、あたしの手を自分の胸に
押し当てて「我慢しなくてもいいんだよ?」と頬を赤らめて恥ずかしそうに言われたり。
 そして頭の中ではどうしたものかと思いつつも満更でもなく、ことごとく流されて
しまうあたしがいた。
 順調に百合だか何だかの道を転がり落ちている気がしてならない。というか間違い無く
転がり落ちている。やばいよなぁ……でも気持ちいいんだよ、優子の胸触ってると。
 これが恋とか愛とかなのかは経験値不足のあたしにはよく判らないんだけども。でも
小さくて可愛くて、ギュッとすると嬉しそうにしてくれる。そして胸は大きく柔らかい。
 あたしには優子を邪険にする事はどうにも出来なさそうだった。

「やれやれ」
「どしたの?」

 様々に問題を抱えつつ何でもないと応えて、部室の前にたどり着いた。
 学食Aランチ経由で約五十分。まあ頃合だろうとおもむろに扉を開けてみた。
 元は講義室だったと思しき部室は乱雑に物が積み重ねられ、スペースの半分が荷物で
埋まっている事以外は取り立てて奇妙な所も無い。

「やあ、お二人さん」

 中に居たのは山田華子。
 どこから拾ってきたのか不明なソファに深く腰掛け、悠然と寛いでいた。
 今日はデニム地のジャケットにジーンズ、そしてその下にラフなTシャツと、大柄な
身体と相まってホッケーマスクを被ればそのまま女ジェイソンになりそうなファッション
である。格闘ゲームに出てきそうなくらいパワフルだし。それでも男と見間違えるヤツの
一人も出ないのは、あの見事に盛り上がった胸の所為だろう。……華子のくせに。
 時代の流れか一体親は何考えてこんな名前を付けたんだ? という名前にぶち当たる事
も増えたこのご時勢。山田家のご両親、特にお父上が「べらんめえ! 男だったら太郎、
女だったら花子でじゅうぶんでぇ!」という大変貴重というか、逆方向に行き過ぎでは
ないかという考え方の持ち主で、長女が生まれたとき本気で山田花子と役所に届け出よう
として親戚中によってたかって止められ、しぶしぶ『華子(かこ)』に変えたという逸話
をお持ちである。それでも名づけられた本人は時折自らの名前に不満そうだが、
「俺を見ろ」と一つ違いの兄上、本当に届け出られてしまった山田太郎氏に諭されると、
流石に何も言えなくなるらしい。
 ちなみに昔からの友人だもので行き来があり、山田太郎氏とも顔見知り。今は同じこの
大学で三回生をやっていたりする。中学から柔道をやっておられたが、幸いというべきか
野球に転向する事はなかったようである。
 いや、とりあえず山田兄妹の話はどうでもいい。
 中へと進みつつ用件を話す。

「代表は? 脚本は出来とった?」

 現在の最重要綱目は一応、それだ。
 演劇にかける青春の汗とか演技に対する情熱とかそういうものはあんまり持ち合わせて
いないが、それでもひょっこり素人演劇サークルなどというケッタイなものに所属して
しまう程度の関心はあった。一回は主演もさせてもらってるし。
 ……まあ姫を守る騎士とかライバルの王子様とか、パイプを咥えた探偵とか、そうで
なきゃ越後のちりめん問屋のご隠居を影ながら守る矢七だとか、そういう役回りばっか
なんだけど。秋の公演の時は、せめてかげろうお銀にして欲しかったなぁ。いや、入浴
シーンはいやだけど、ヒロイン役……胸が足りない言うな。
 とはいえ役回りにケチを付けるのも演目が決まってからでないと出来ないし、特に今回
は鷹取スペシャルだから。これが御老公一行の全国行脚とかなら必要な役は決まってるん
だけどね。
 あたしの内心の微妙な葛藤はさておくとして、尋ねられた方の大道具兼大工係時々
エキストラ所によってはカクさんとか合体ロボの中身な山田華子の方は。

「代表って鷹取? ちょい待ち」

 ひょっこりと立ち上がり、奥の窓の方へ向かった。
 そのまま大股に窓枠を乗り越えて裏庭に出て行った所を見ると、どうやら本日も部室の
裏で何かやらかしているのだろう。おそらくは、優子から聞いた昨日と同じような事を。
 やっぱダメらしい。
 しかし華子、あんたはもう少し年頃の乙女らしい経路で進もうと思わないのか……

「ね? やっぱりでしょ?」
「いやいや、まだ希望を捨てたらあかん」

 九割がた予想が当たっているに違いない確信の所為か、得意げに胸を張るもっぱら
お姫様専門な優子に適当に応じていると、後ろでガチャリと扉が開いた。
 何気なく後ろを振り返って。

「あ――」

 そこに守綱君が立っていた。
 眼が合った瞬間、互いに立ちすくみ――

「おーい、立ち止まらないでくれ」
「あ、うん……」

 更に後ろからの催促に我に返った。
 あたしは道を譲り、守綱君は僅かばかりの会釈を残してすれ違う。
 続いて野郎共が数人ぞろぞろと中へと入っていった。
 それを見送ってから、自分も部屋の片隅に移動する。

「……ねえ、どうしたの?」

 目に見えて様子が変わっていたのか。
 心配そうに訊ねる優子にあたしは何とも答えられず、何でもないと手を振った。
 別に誰が悪い訳でもない。強いて言うなら、未だに諦めきれないあたしが悪い。
 それは分ってるんだけど。
 チラッと守綱君の方を目の隅で窺うと、丁度先方もこちらを窺っていた。慌てて互いに
視線を逸らす。……はあ、居心地悪いから何とかしたいけど、何と言っていいのか判ら
ないんだよねえ。守綱君の方もそうなんだろうか。
 せめて友達には戻りたい。それ以上は――望めない、よねぇ。ちょっと落ち込む。
 優子とあれやこれや話しながらぼんやりとそんな事を考えていた。
 そしてその間にもサークルの面々はチラホラと集まってきて。

「お待たせ! ようやく捕まえたわ」

 その頃になって、奥の窓を乗り越えて出て行った華子がようやく戻ってきた。
 出て行った時と同様、スニーカーでずいっと窓枠を踏み越えて。
 そしてカラカラと笑いながら、子猫でも持つように気軽に掴んだモノを前に突き出す。

「山田クン。何度も言うが、君はもう少し先輩に対する敬意をだね……」
「先輩言うても鷹取やろ?」

 山田華子に首根っこ掴まれて、憮然としたままぶらぶら揺れている男。
 これが現・素人演劇サークル『スマトラトラの穴』代表兼脚本担当、鷹取勇である。
ちなみに今日も某フライドチキンの店舗の箱を抱えていた。
 その後ようやく華子に降ろしてもらったヤツが頭を掻きつつ皆の前に出て――
 ――本日の議題はそのまま頓挫した。
 何せ、脚本も演目もまったく決まってない状態で何をどうしろと。

「……やっぱりやったか」
「……やっぱりだったね」

 隣の優子と視線を交えてうなづきあう。ため息が漏れるのを隠す気も無い。
 ほんの僅かだけ、裏庭に設置した邪神像のご利益で鷹取の隠された才能が開眼してたり
するのを期待してたのだけど。本当に儚い期待やったなぁ……あるいは邪神といえども、
最初から存在してない才能は発掘できへんのか。その方があり得るかもしれない。
 苦悩の鷹取、ざわめく室内。もうしばらくすればどこからともなく、もうコンパだけで
いいんじゃない? という意見が出てくるだろう。
 スマトラトラの穴代表兼脚本担当、鷹取勇は窮地に陥っていた。自業自得だが。
 まあこうしてもいても仕方ないので、決断を促す。

「で、どうすんねん?」
「う……」

 ヤツは追い詰められていた。
 そして追い詰められたヤツはある一つの決断を下す。
 冷たい汗を流しながら、何かを踏み越えてしまったものだけがする、眼だけが全く
笑っていない凄惨な微笑を浮かべ、声をかけたあたしの方へと向き直る。

「じゃあ秋音さん、王子様な。キマリ」
「……は?」

 その瞬間理解した。したくなかったが理解してしまった。
 そう、ヤツはとりあえず配役と衣装だけ決めて後からそのキャラで辻褄の合うシナリオ
をでっちあげると言う暴挙に踏み切ったのだ。間違いない。

「代表、幾らなんでもそれは無茶やで?」

 衣装は適当に決められる。
 王子役とか姫様役とかも決められる。
 しかし、その役はどんな名前でどんなキャラクターで何をするのか皆目不明のまま。
どう演じていいやら見当もつかない。もっとも、一端の劇団ならともかく、素人集団かつ
大根役者ぞろいのウチでは大して違わないかもだけど。せいぜい青首大根と白首大根、
または桜島大根と練馬大根の程度の違いにしかならない、かな。

「やるんだよ! たとえどんな無茶だろうとな!」

 それも相まってか、ここだけは吼える鷹取がまったく根拠レスであるにも関わらず、
周囲からの反対はとりあえず無かった。何割かはぽしゃったらコンパだけすりゃいいや、
と思ってるに違いないけど。
 ……いいか。代表は鷹取やしやりたいようにやらせよか。責任も代表持ちと言う事で。
 という訳で一応王子様役は了承。ある意味、コメディでもシリアスでも慣れた役回り。
それに適した衣装が幾つあるかまで知ってるし。

「ええのと違うかな。前の時の書き割り流用できる劇なら」

 まるで他人事のようにのんびりとした華子の発言に、反対意見は特に出なかった。
 その華子は慣れたもので、すでに愛用の大工道具を整備し始めている。最後は突貫で
舞台装置を作るハメになると見越しているのだろう。優子の方はといえば、鷹取の手元の
フライドチキンの箱から漂う匂いに気を取られているようだった。相変わらず、この方面
に関しては意志が弱い。あるいは意地汚い。
 守綱君は何してるかな……と振りかえる前に、鷹取は宣言した。

「じゃキマリ。実際に見ればインスピレーションも湧くに違いない……たぶん、きっと」

 後半独り言のようである。
 まあ好きにして頂きたい。
 とりあえず、王子様とやらが出るからには中世西洋モノ縛りにはしたのだろう。これで
火星探検活劇とか言われても困るのだけど。いや、星の王子様ならぬ火星の王子様……
やめよう、あたしに脚本の才能は欠如している。

「で、あとの役は?」
「そうだな……定番だが、お姫様は欲しいか? じゃあ立候補は……」

 と周囲を見回す代表。
 集まった人数は十人強。しかし室内はシーンと静まり返っていた。
 何とも協力の精神に欠けた連中であるがまあ妥当な所だろう。あたしだって指名され
なければ特に立候補はしなかっただろうし。そのうち鷹取が代表権限で誰か指名する筈だ。
この役なら……たぶん優子?
 ふと何気なく横を見ると――居なかった。おや?
 更に視線を動かすと、あたしの後ろに隠れて小さくなっていたりする。

「どうしたん?」
「――昨日のフライドチキン3ピースが……」

 ……またかい。
 それで指名を避けて隠れてた訳ですか。
 いい加減、腹にサラシでも巻いて強引に締めてやろうかと思わないでもない。あるいは
『減量中です。食べ物を与えないでください』と書いた札でも下げてやろうかな。
このところダイエットに付き合おうかとも考えていたりした。四六時中見張ってないと
絶対無駄になるのが優子クオリティ。
 きっと何回生まれ変わってもボクサーにだけは成れないに違いない。
 とりあえず無理やり姫様役に推薦しておいてあとは八十日間絶食ダイエットでも敢行
させてみようか、なに八十日あれば世界一周だってできるし公演はとっくに終わってる
けど等と半ば本気で思いかけた頃になって。
 静まり返っていた室内がザワと揺らめいた。

「お、おお! じゃあ、お姫様役決定!」

 そして、興奮気味の代表の声。おや、誰か立候補したのか?
 一度視線を元に戻し、そしてビシッと指差す鷹取の指の先から点線を延ばしていく。
点、点、点――え、ええっ!?

「…………」

 こうしてどよどよとざわめく連中を潜り抜け、あたしの視線のたどり着いた先には。
 真っ赤になった顔を俯かせ、それでも震える手で断固として挙手する守綱君がいた。










 /

 そして公演当日である。
 我らが『スマトラトラの穴』の面々は、いつもどうりの突貫作業と駆け足の練習を終え
て本番へと雪崩れ込んだ。客の入りはそこそこかな。
 ちなみに鷹取のヤツはあたしと守綱君がためしに着てみた衣装姿を見た瞬間「閃いた、
閃いたぞおおお!」と叫んでその場で脚本をガリガリ書き始め、二日後に完成した。
あたしは以前にもこの衣装着た事があるので、原動力になったのは碧のドレスに袖を
通して恥らう守綱君の艶姿だと思われる。多少複雑なものはあるが、分らないでもない。
亜麻色のウイッグを被り、碧のドレスに身を包んだ小柄なその姿は、もともとの童顔と
いうか女の子顔と相まって、あたしでもどうにかなりそうなくらい嵌っていた。これで
慣れない姿に終始恥らってるんだから、もう大変な艶姿である。
 守綱君のウエストがドレスにすんなり入った事にショックを受けているらしい優子を横
に置き、ややぎくしゃくしながらも着付けを手伝った事はまだ記憶に新しい。

「ど、どうかな?」
「う、うん。いいと思う……」

 などと、ショッピングをする初々しい恋人同士みたいな会話が出来た事はたぶんずっと
忘れない。男女逆だけど。
 ……これで胸の中身がパットじゃなければなぁ……
 想い人の女装を見て真っ先に浮かぶのがコレだったあたしはもうダメな気もしますが。
 それはさておき、完成した代表兼脚本担当の作った劇だが。
 今現在、高々と看板に掲げられているそのタイトルはといえば。


『世紀末機動武闘伝 ロミオとジュリエット』


 ……………………
 ……………………
 ……分っていた。
 鷹取に任せればこうなる事は分ってはいた。
 そんな事は、去年の新歓公演であたし達が新入生だった時、ヤツが初めて脚本を担当
したという劇『噂の武将 利家とマツ』にエキストラで出演した時から分っていた。
 先輩方がヤケクソの様に

「貴方なんて女です! 利子! 利子! トシコォォォ!」
「お、俺は男だ! うおおおおおおっ!!」

 と叫んで突撃する後ろについて走りながら、思っていた。
 この劇作ったヤツは空前の馬鹿野郎だ、と。今回想しても確信を持って断言できる。
 であるにも関わらず以前の次期代表選挙ではあたしも優子も華子も守綱君までがヤツに
投票したのだから、おかしな話ではあった。
 まあ事ここに至っては仕方ない。自らの役を演じるだけである。
 そして舞台は順調に進み、第三幕。いよいよクライマックス。
 ここからはあたしと守綱君、いやロミオとジュリエットの独壇場である。

「クライマックスだよ。頑張ってね鈴子ちゃん」

 既にジュリエットの乳母役を終えた優子に見送られて舞台裾へと向かう。共に向かうの
はジュリエットに扮した守綱君。

「が、頑張ろうね」
「う、うん」

 二人になると未だにぎこちない。
 けれど、無茶な日程の練習のを通して以前の様な気まずさは徐々に薄れてきていた。
 それだけでもよかったと思う。ふふ。
 隣を歩きながら、横目で守綱君をこの目に焼き付ける。きっとこんな機会は二度とない
に違いないし。
 ウイッグである事は知っているけれど、亜麻色の流れる髪と清楚な碧石に身を包んだ
守綱君のやや緊張した可憐な横顔はあたしを惹きつけてやまなかった。分る範囲でだが
優子と二人がかりで歩き方やら所作の手ほどきなども施したので、知らない人が見れば
中身が男の子だなんて分らないに違いない。
 対するあたしは飾りの多い真っ白な貴族シャツに身を包み、小道具を腰に手挟んでいる。
足元はこれまた鮮やかな蒼いズボン。まあ、宝塚的王子様スタイルというのが近いか。
 個人的な趣味を言えば三銃士のようなスタイルの方が好きだが、少なくとも碧と白の
対比は派手に目立つには違いない。
 さて本番。

「開幕十秒前な」

 電動の緞帳などあるはずも無く、今回は分厚いカーテンを二,三枚縫い合わせたブツを
人力で上げ下げする役の華子からカウントダウンの声がかかる。
 互いに頷いて、配置につく。
 与えられた役に浸りこむ。そして観客席と舞台を隔てる幕が上がり始める。
 この瞬間は結構好き。
 ……たとえ、どんな劇だとしてもナ。
 予め断っておくが、こいつは鷹取のでっち上げた『素人』演劇。
 時代考証無用の何でもアリなのでそこのとこ宜しく。


 ◆◆


【世紀末機動武闘伝ロミオとジュリエット 第三幕】


「ロミオ様ぁ!」

 ジュリエットが駆けて来る。
 モンタギュー家とキャピュレット家、その血で血を洗う抗争のただ中に。
 いっそ、出会わなければよかったのに。ロミオはずっと、そう思っていた。
 戦場で会えば彼女は敵。非情な掟がそう決める。
 だから。
 悲痛に歪む顔は片手で隠し、銃を抜く。
 想いとは裏腹に、何千と繰り返した動作は滑らかに照準を合わせた。
 そして。

「――気安く呼ぶな、ジュリエット」

 引き金はたやすくコトリと落ちる。
 ベレッタM93R。フルオートを廃した三点バースト機構にその特徴を持つ名銃が、三発
の9mmパラベラム弾を続けて射出した。
 しかしそのジュリエットは素早く地に転がり弾道から外れ、そのまま建物の影に身を
潜める。真新しい弾痕に彩られた建物の角一つを挟んで、対峙する。
 互いの息遣いが聞こえる距離で。
 互いを見れば、弾丸を撃ち込まねばならないその距離で。

「ねえロミオ様? いつかこんな日が来るかもしれないと思ってた――」
「……ああ、そうだな」

 穏やかな会話を交えながら、ロミオは右手の銃を構えなおす。
 そして左手にも同じ拳銃をもう一つ。
 きっと角の向こう、壁に背中を預けたジュリエットもそう。左右の銃に弾を込め、
ロミオの隙を狙っている。壁に背を預けながら息を整え、両手にだらりと拳銃を下げて、
跳びだす機会を窺っている。
 その程度の事は、理解しあった二人だった。
 その程度の事を承知の上で、想いを込めた会話を続ける。

「こんな日が来なければいいって、ずっとずっと思ってた」
「ああ――しかし、今日という日は来てしまったんだ。私がロミオである限り、君が
ジュリエットである限り、この運命は覆せない」

 そしてゆっくりと歩き出す。
 ジュリエットの待つ建物の影へと。
 角の手前でジュリエットの姿が現れる。
 一瞬の間を置いて、ベレッタM93Rは火を噴いた。
 始まる鉛弾の応酬。ほんの僅かな質量でありながら一撃で人の命を奪う銃弾を、自らの
意思で、最も愛しい者へと弾き出す。
 互いに二挺の拳銃をその手に操り、互いを狙うその動きは冷酷さに研ぎ澄まされて寸分
の遅れも無い。
 けれど。
 その瞳には揺れる姿が映っていた。

「おお、ロミオ様! どうして貴方がロミオだったの!」

 懐に飛び込まれ、至近で向けられた銃口にロミオは左の銃身を叩きつける。
ベレッタM93Rの前方に突き出したトリガーガードに挟み込み、巻き落とそうと試みるも
もう片方の銃を向けられて仰け反った隙に取り返される。

「チィ……――ジュリエット! どうして君が、ジュリエットだったんだ!」

 どうにもならない絶望を叫び、引き金を引く。
 ロミオのこめかみを掠めて銃弾が跳ぶ。ジュリエットの巻き毛が数本千切れて飛んだ。
 至近で銃身を打ち合わせ、離れては弾丸を交錯させる。その激しさに両家の兵達も
近づけない。
 騒乱の坩堝となった戦場で、そこだけが別世界のようだった。
 視線を交わし、ステップを踏み、互いの隙を窺い続ける。
 それは二人がかつて踊った月下の舞踏のようで。
 それでいて、どちらか片方は必ず生きては踊り終えられない死の舞踏だった。
 迎える結末を承知していながらせめてもこの手でと踊る二人にも、やがてその運命は
等しく訪れる。

「ロミオ様!」

 ジュリエットの悲鳴と時を同じくして、愛銃ベレッタM93Rはロミオの手から滑り
落ち、カラカラと音を立てた。
 声も無く崩れ去るロミオの胸は赤く赤く染まっていた。
 倒れ臥したロミオを抱き起こし、ジュリエットは自らの身体に寄りかからせる。その
消え行く命を逃すまいとするかのように、震えるその手に愛しい男を抱きしめて。

「――ジュリ、エット。綺麗なドレスが汚れてしまうよ――」

 言いたい事はそんな事ではなかった。けれど、もうかける言葉が無かった。
 碧のドレスをロミオの真っ赤な血で染めながら、ジュリエットは何度も首を振る。
もう何も言わないで、と。その懇願を優しい目で見つめながら亜麻色の髪に震える手を
触れさせ、それでもロミオは口を開こうとする。
 けれど。
 ジュリエットのその手の中で一度だけ咳き込むと、ロミオはもう動かなかった――


 ◆◆


 ――という所で、あたしはロミオ役からロミオの死体役になった訳だけど。
 いや、演技についてならともかく粗筋とか時代考証とか、何故に剣戟ですらなく
ガン=カタもどきとかの文句はあたしに言わないで欲しい。鷹取に言ってくれ。
 今も目の前ではあたし、つまりロミオの死体を抱えたまま守綱君扮するジュリエットが
悲嘆の声をあげている。この後、ジュリエットは一度だけ愛しい男の遺体に口づけてから、
ロミオの手にしていたベレッタM93R……だっけ? ともかくロミオの拳銃で自殺を
遂げて、幕が降りる予定。ちなみにこのモデルガンは鷹取の私物だそうで、性能について
色々講釈を垂れられたのだがあんまり覚えてない。
 本家と違ってその後両家が和解するシーンが無いのは、現実はそう甘くないという
示唆かそれとも尺が足りなかったからか。いやたぶん鷹取の事だから、単に必要ないから
と省いたんだろうきっと。
 まあそれはさておくとして。
 ところで確かにこの劇、守綱君をお姫様役に配置した事で閃いたようだった。なにしろ
優子をジュリエット役にしていたら、このアクションシーンはまず無理だったから。
流石に小柄でも男の子、いい動きをしていた。
 こんな感慨を今思い浮かべているのも理由があって。
 死体として舞台にぐてっとしている演技と言うのもそれはそれで大変だからである。
 目を開ければ舞台裾で優子が手を振ってたり、華子が幕を(人力で)降ろすタイミング
を計っていたり、人手不足でエキストラも兼ねる鷹取が端っこの方をうろうろしてたり
するんだろうけど、それを見物するのもままならない。せめて目の前の守綱君の演技を
見たいんだけどなぁ……

「ロミオ様――」

 そうこうしている間に、いよいよキスシーン。
 いや、あくまでフリよフリ。ちょっとドキドキしないでもないけど。
 ささやきと共に身体を起こされて、そして。

「――ごめんなさい」

 ……あれ? そんな台詞あったっけ?
 と不思議に思う間もなく。

「――!?」

 思わず目を見開いてしまう。
 だって今、あたしは女の子姿の守綱君に口づけられていた。
 フリでも事故でもなく、本当に。
 認識した瞬間、あっという間に顔が真っ赤になるのを自覚した。
 声を出さなかったのは我ながら上出来だったと思う。単に声も出なかっただけなのかも。
 心臓が踊り狂ったかの様に鼓動を打っている。
 本当はほんの数秒だったんだろう。でもあたしにはすごく長く感じた。

「本当に、ごめんなさい。でも――ボク、本気ですから」

 至近距離にやっぱり真っ赤な顔の、でも毅然とした守綱君がいる。
 え? ええ? それって、もしかして、その……そういう事なのっ!?
 グルグルと脳内を巡るここ最近の記憶。
 花見の折に例の件を目撃されて、それから避けられていた理由。
 つまりそういう事……で、いいのよね? 勘違いじゃないよね?
 その上で思い詰めてのこの行動、になるのだろうかこれは。
 うう……一応流れとしては理解できるけど、自分の身に起こりえる事とは到底感じられ
ない。衝撃はあるけど実感が無い。ドラマか演劇の中の事の様……いや、演劇中だけど。
 それにしても、どさくさに紛れて何て大胆なことを、と呆然としそうになる。
 けど今は舞台の上で、つまり公衆の面前での一シーンだった。あまりにも長い
キスシーンでは観衆にもスタッフにも何かおかしいと感づかれる。あたしはいったい
どうすれば……
 脳みそが空転を繰り返し、時間は進むが思考は進まない。
 それでも何か言おうとしたあたしの身体を、守綱君はそっと床に横たえた。
 時間切れ。そしてお芝居再開。ああ、今あたしは演劇史上もっとも心臓のドキドキが
観客にばれないかと心配しているロミオの死体役に違いない。
 とりあえずの時間は稼げた事にはホッとするけどさ。
 けれど。
 その最後に守綱君が囁いていった。
 そこだけは男の子らしい、決意を込めて。


「秋音さんが女の子しか愛せないなら――ボクが女の子になりますからっ」


 ……って、ちょっとマテ。
 思考。
 更に思考。
 ああ、それで姫様役に志願したんですかキミ。
 ……………………
 ……………………
 …………違う。何かが猛烈に違う気がする。
 どうすればいいんだこの深刻な誤解。というか最近本当に誤解なのかどうか自分でも
分らなくなってきてたりしてる案件で、もうどっちへ進んだらいいのやら。
 女の身で女の子に走るのと、女装した男の子に走るのと、どっちがより倒錯してるのか。
誰か教えてください本当に。
 ロミオの拳銃を側頭部に押し当てて引き金を引くジュリエットを目の当たりにしながら、
あたしは深刻な命題を突きつけられていたという。










 /

 追伸。
 ゆっくりと幕が降りていく間に、ちょっと考えて見た。
 男の子な守綱君とデートするのよりも女の子な守綱君とデートしてるのを想像した方が
よりときめいたあたしは、もう駄目だと思いました。おもに人として。

「お疲れー……どうしたの? 起きないの? どっか痛いの?」

 とてとてと寄って来た優子に助け起こしてもらいつつ、ボソッと呟いて見たりして。

「……おおジュリエット、どうして貴女はオトコなんだ」
「それ、何かおかしくない?」

 小首を傾げる優子さん。いや、おかしいのは分ってるんだけどね。
 むしろおかしくない箇所がどこにも無いのは何故だろう、と悩む最近の人間関係。





                            <了>










 後書き

 ええ、またしても三題話でございます。
 前回の話の続きとさせていただきました。
 今回の出題者は大崎瑞香さんで、お題は『ベレッタM93R』『碧』『寄りかかる』でした。
ベレッタが難題で、鷹取は完全にその副産物として誕生したキャラです。思ったよりも味
のあるキャラになりまして、こういうのが三題話の楽しみです。
 ……代わりに鈴子さんはより愉快な方向に足を踏み入れてしまいましたけども。まあ
前作から既に踏み入れてたのでもう一歩進んだって大して変わりませんかなー、とか。
 それでは。



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