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               爆撃ラブハート



                          権兵衛党



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 桜の花が、咲き乱れていた。

「おお……」

 毎年見慣れた光景とはいえ、地面に寝そべって真下から見上げた事は一度もない。
しばし見入るのも悪くはなかった。
 桜の根元から見る光景。大きく張り出した無骨な枝のその向こうに、淡い色合いの花弁
が幾つも幾つも連なっていて、青いはずの空を淡く白く埋め尽くしている。枝と咲き誇る
花との隙間から漏れる陽光が風に揺れて、コントラストが花をますます白く、枝の影を
黒く見せていた。それでも花は白一色とは言えず、淡くとも桜色なのだからこの色も
儚そうでいて案外にしぶとい。そういえば、うろ覚えだが染色に使う桜色は花からでは
なくて桜の木の皮やら桜材そのものから抽出するのだそうだ。木そのものが蓄えた生命力
をこの季節とばかりに桜色に変えて咲き誇らせているのだから、それは淡くも強い色なの
かもしれない。
 などと、某新聞の社説欄のような強引な話題の転換から結論を終えたところで。

「んしょ、んしょ」

 誰か、あの全力で桜によじ登ろうとしてる娘を止めてください。
 俺は半ば視界が回ってるので無理っぽいのだが。

「祐樹クン大丈夫? ふふ、膝枕してあげましょうか?」
「いったい、誰の所為だと思ってるんですか。それよりも美紀を止めてくださいよ」

 飲ませた張本人の美佐江さんは、俺の話でたった今気づいたとでもいった様に桜に
よじ登ろうとしている娘を見上げて一言。

「あらあら」
「……あらあら、じゃ無いですよ……」

 やっぱりこの人も酔ってるのではなかろうか。










 /

「明日はお店も定休日だし、お花見にいきましょうか?」

 ほど近くを流れる川の土手沿いに桜が連なっている。
 先ごろからつぼみを徐々に開き始めていたが、そろそろ満開となっていた。
 ゆるやかに蛇行する水のほとりをうっすらと桜色に染める花がときおり風に舞い落ち、
水面を滑っていく光景は毎年欠けることなく繰り返されるこの町の風情である。
 普段、何気なく側を通り過ぎていく川原であるが、この時期ばかりは足を止めてその
艶姿を眺めていく人も多かった。
 そんな折、皿を洗う俺に美佐江さんが行った提案である。

「いいですね。土手の桜も見ごろでしたし」

 春休みでもあり自由になる時間はそれなりにあるが、財布の中身が万年カラッ欠な俺に
とって美佐江さんの誘いは渡りに船だった。なにしろこのご時勢では、何処へ行くにも金
がかかる。健全すぎるイチ高校生の身では、金を稼ぐのにも限界があるのだ。人間何事も
分相応であり、虚勢を張って無理をしてもロクな事はない。
 が。
 それでもせっかくの春休みを労働だけで終えるのも勿体無いというか、切ない話では
ないか。なるべく近場でお金のかからなさそうなレジャーなら、俺的には大賛成だった。

「正直に言うなら、休日にはデートに連れて出してくれる程度の甲斐性は欲しいんだけど」
「……残念ながら給料日はまだですよ、雇用者様」

 そして俺はと言えば前年度末に春休みを見越して、今がその時だっとばかりに本屋の
軒先で某フロム○に命を燃やしている所を目撃され、更に「丁度よかったわぁ」という
美紀と美佐江さんのお願いを断りきれず、こうして美佐江さんの喫茶店でウェイター兼
皿洗いをしているのである。もちろん給料の高かろう筈もない。
 ちなみにその辺の事情をよく知っていて無茶を言う美佐江さんが、デートに連れ出せと
言っているのはもちろんご本人でない。
 もしそうだったら驚く。ついでに経済力の差から情けなくも先方にデート代の全額負担
を要求する……いや、そういう問題ではなくて。
 ともあれ、苦笑いする美佐江さんの視線の先。

「ありがとうございましたー」

 営業スマイルでお客を送り出している娘の方である。
 美佐江さんの一人娘で、名前は美紀。ちょっと幼い感じだが一応同い年。幼馴染であり、
この間からは恋人どうしでもあった。……ああ、体型に加えてあの両サイドで結わえた
髪型が、必要以上に年齢を控えめに見せているのだなあ。自分でもついぞ発育しないのを
気にしているくせに、一向にその事実には気づかない。いや面白いので指摘しないけど。
 小さな喫茶店だもので制服というほどの物もなく、しかしてきっちりウエイトレスに
見えるのは下に着るシャツの選択と、美佐江さんとおそろいのエプロンの所為である
らしい。いや、長年出入りしてたけど被雇用者になるまでそうなってるとは知らなかった。
 昼の慌しい時間も過ぎ、おりしもお客の途絶える時間帯。
 最後の客を送り出した美紀が鼻歌交じりにこちらへと戻ってくる。曲は時折耳にする
流行歌としか判らないけれども。休日限定看板娘、本日の機嫌はすこぶる良いらしかった。

「あー、美紀。明日、花見にいか」
「行くー!」
「……人の話を最後まで聞かないヤツはデコピン」
「きゃーっ!?」

 この誘い、美紀に否のあるはずも無かった事だけを追記しておく。
 額を押さえての見事な逃走っぷりなど、もはや特筆するに値しないのだった。
 そしてそれがはや昨日のこと。
 天気にも恵まれ、本日予定通り花見は決行された。
 こっちこっちとはしゃぐ美紀に先導されて一際大きな桜の下にシートを敷き、二人で
作ったという弁当を広げる。
 弁当の用意は万端、咲き誇る桜も万端。これで花見の準備は整った。
 本当にいい天気になってよかったなあ。
 それはさておき。
 見事な弁当を見せられた育ち盛りの健全な胃袋が、ぐぅと音を発して補給を求めて
くれたりするのであった。うおお、最初っから意地汚いやつめ。
 という訳で、微笑しながらどうぞと勧める美佐江さんの好意に甘えて胃袋を潤すことに
した。さて、どれからいくかなっと。
 おもむろに卵焼きをつまんで口に放り込んで見たり。……ふぅむ、美佐江さんの味とは
少し違う、が。という事は……
 ちらりと目の端で横を窺うと、それとなくチラチラとこちらの反応を窺っている気配。
やはりか。
 思い起こせば小学生の頃、こいつはまともに卵を割ることも出来なかったんだったなあ、
などと咀嚼しながら感慨に耽ってしまう。噛むと出汁巻きの出汁が共に巻かれた海苔と共
に染み出し、口の中に広がっていく。悪くない。かつての殻交じりのスクランブルエッグ
とは雲泥の差だといえよう。いや、アレと比べるのもどうかと思うが。
 ごくりと卵焼きを消化のために胃に落としてから、いつの間にか固唾を呑んでいる親子
を見比べて、そして美紀の方を向いて笑って言った。

「美味いな」

 と。
 その瞬間、美紀の瞳がぱあっと輝いたのと、二人してグッと拳を握って目立たないよう
に小さくガッツポーズを取ったのはしっかり記憶に留めておく事とする。相変わらず仲の
いい親子だなあ……いつぞやのように大喜びでハイタッして健闘を讃え合われても困る
けど。他の花見客の中の顔見知り率から考えて、絶対拍手の渦が巻き起こる。
ひょっとすると花見の席だから胴上げくらいはやりかねない。無意味に。
 気はいいが物事をあまり深く考えない連中がそろっておるのでな。

「こっちのもどうぞ」
「いただきます」

 勧められてさらに弁当の具に手を伸ばした。
 それはさておき。
 ちらほらと近所の顔見知りやら大学生らしい集団やらが花見をしている中、俺達も寛ぎ、
談笑し、弁当をつまみ、恥ずかしながら流行歌のデュエットなどさせられる。
 てれてれと視線を気にしつつも、相方のテンションに乗せられて歌う耳に馴染んだ歌。
 肩の力の抜けたいい花見だったと思う。

「お疲れ様。はい、どうぞ」
「あ、すみません」

 周囲を気にしつつアカペラで歌い終えて、汗をぬぐう俺と満足そうな美紀の前に、
拍手と共にコップが置かれるまでは。
 もう少し正確に言うなら喉の渇きに促されて、目の前に出された透明な液体を二人
そろって一気に喉の奥に流し込むまでは。
 ……いや高級な日本酒って、匂いに気づかないと本当に水みたいなのな。喉越しだけは。
 次の瞬間、遅れて理解した漂う匂いと口内に残る違和感バリバリの味と、
カッと火のつくような腹の中。何かがドフッと体内で炸裂したようなインパクト。そして、
美佐江さんがにっこりと笑いながら背中から取り出した一升瓶。
 全てが噛み合った時には既に遅かった。

「んっふっふ、そろそろ冒険してもいい年頃よね?」
「げっ、がふっ! そ、そういう問題ですかっ!」

 むせながらの抗議もどこ吹く風。
 果たしてこの暴挙、いつものお茶目で済ませていいのだろうか。
 そう考えたのもつかの間。大きな声を出した所為か、視界が一気にぐらぐらし始める。
何だこれは? これは……これはひょっとして、これが、初めて体験する「酔っ払う」と
いう事なのか? 瞬く間に顔が熱くなり、血が血管を駆け上る。熱い。比喩でなく、
マジで熱い。
 知識では知っていたものの、初めての経験に俺は動転していた。くそっ、どうやら俺の
アルコール分解機能はかなり低いらしいな。それとも、慣れればまた違うのだろうか。
あまり慣れたいとも思わないが。好き好んで飲もうという人間の気が知れないぜ。少なく
とも、今現在のところは。
 ……って、そういえば美紀は?
 慌てて横を振り向くとそこには。

「祐クン、どうかした?」

 平然とコップを傾ける幼馴染がいたりして。

「……美紀。おまえ、大丈夫なのか?」
「えー、何がー?」

 おそるおそる問いかける俺に疑問系で返し、またクピッと両手で持ったコップを傾けた。
 クッ、その横顔が優越感に満ちていやがる。
 そして普段、つい美紀を子供扱いしがちな俺に対するあてつけか、にんまり笑いながら
のとどめの台詞。

「祐クン、ひょっとして飲めないの?」

 言外に祐クンってば子供ー、という響きを聞き取る。グググ、美紀にそこまで言われて
正直に「すみません飲めません」とは言えまい。
 大人気ないと言わば言え。傾奇者としての意地にあらず。人としての意地でござる。
 意味不明だが。

「――――ハハハハハ、何を馬鹿な! こんなもの水も同然!」

 つい勢いで手中のコップの中身を全て喉へと流し込んだ。
 ……何か味はよく判らないのだが、口の奥に残る感触が消毒液とか流し込んでるみたい
に思えるんですけどー。あと、歯科で歯を抜くときの麻酔みたいな感覚とかー。
 麻酔はさておき、消毒液はアルコールだからあんまり変わらないのかも。
 ついしかめそうになる顔を押しとどめ、むりやりに平然を保って空になったコップを
置く。すると。

「まあ、いい飲みっぷりねー」

 すかさず二杯目が注がれるこのコンボ、俺はいったいどうすればいいのでしょうか。
 ああもう、なるようになれだ。

「おおー」
「まあ、凄い」

 感嘆の声が上がる中、俺は二杯目を一気に傾けた。
 結果から言おう。とりあえず二杯目はクリアした。
 引き続いての三杯目も何とかクリアした。
 しかし四杯目は無理だった。
 危険を感じて途中で時間稼ぎをした所為でもある。後で聞いた話によると、熱燗はすぐ
に回るが冷酒は時間差で来るのだそうだ。それに熱燗は基本お猪口で飲むものだが冷酒は
コップなので基本量が違うらしい。だからこそ調子に乗ってヒヤでがばがば飲んでいると
命の危険に直面する事もある。みんなも気をつけよう。
 さて翻って俺はと言えば。

「――目が、回りる……」

 既に手遅れだった。
 立派に視界が揺れている。立ち上がっても千鳥足は免れまい。
 意識ははっきりしているものの、呂律に一部はっきりしない節もある。
 意地をはったツケは確実に俺の身体を蝕んでいた。
 も、もう駄目かも。

「あは、祐クンだらしないー」
「おまえは大丈夫なのかよ?」

 地球の重力はいつの間に真横からかかるようになったんだろうと不思議に思いつつ、
重力に逆らわずに落下したら世界は垂直になっていた。何故なんだ、今この瞬間に地球の
自転方向が変わりでもしたのだろうか。ガリレオもびっくりだ。
 ああ、違う。そうじゃない。
 シートに横倒しになった俺を見て、美紀が笑う。ケタケタと笑う顔が多少赤い他は
なんともないように見える。
 だが。

「大丈夫、大じょーぶ。まだあの木にだって登れるよー」
「へ?」

 思考がすでに少し怪しくなっていた。
 そして自分が未だ酔っていない事を証明する為に桜によじ登ろうとする酔っ払いが完成。
 冒頭の状況に至る訳である。
 ただでさえ間違っても運動神経が良いとはいえない美紀が、アルコール入りで木登りを
して落ちない筈がない。俺は気が気でなかった。
 のだが。

「大丈夫じゃない? あの子、何故か木登りだけは上手かったから」

 などとのたまっている訳ですよ。母親は。
 そういえば幼い頃、近所の男子連中に混じって木とかブロック塀に登っていたような。
思い返せばかけっこやら自転車レースやらしてる時には近づいてこなかったから、木登り
だけ一緒にやってたというかやれてた時点で自信があったんだろう。いつも一番高いとこ
まで登ってたっけ。
 しかし今はアルコールも入ってるし、なによりもう一つ思い出したことがある。
……あいつ、登るのは異様に上手いけど毎回毎回必ず降りられなくなってなかったか?
 今現在枝に手をかけて登ろうとしている娘の幼い頃を幻視する。
 ――思い出した。ひしっと枝にしがみつき「祐くぅん……」と高い所から震える声で
助けを求める、まるで降りられなくなった子猫みたいな様子。まるでというかそのもの
だっだ。
 毎回どうにかこうにか助けに行っていた記憶が蘇る。落下して大怪我、なんて事態に
ならなかったのははっきりいって僥倖だった。
 そうだ、それもあっていつの間にか木登りなんてしなくなったんだった。
 サッカーでもゴムボール野球でも、あるいは誰かの家に集まってゲームで対戦でも、
他に面白い遊びは幾らでもあったから。ただ、男子ばっかりで集まってそういう事を
始めると、美紀は流石に仲間に入れなくなって……いや、思い出は今はいい。
 ともあれ、美紀のスキルから考えて俺がこうして動けない状態で木登りをさせておく
のは、大変やばいのではないかと思う次第ですが。

「止めないと……って美佐江さん!?」
「まあ、見てなさいな」

 フラッとよろめきつつも立ち上がろうとすると、美佐江さんに止められた。
 そしてそのまま強引に膝枕されてしまう。

「ふふ、懐かしいわね。美紀と一緒に私の膝でお昼寝してたの覚えてる?」
「今はそれどころじゃ――」

 アルコールの所為か熱い額にひんやりとした手を置かれると、その手を振り払う事は
俺にはもう出来なかった。
 そのまま微笑みつつクピッとコップを傾けて、それから。

「あの子、不器用でしょ?」

 語るともなく、問いかけられる。
 ちょっと戸惑いつつも首肯する。
 卵割りの事例を思い出すまでもなく、美紀は大概の事には不器用だ。
 それにもまあ、幾つかの例外があって――

「でも美味しい卵焼きとか、美味しい紅茶なんかは上手いわよね?」

 再び肯定。
 あいつの淹れた紅茶は美味かったし、昔あれだけ下手だった卵料理もいつの間にか凄く
上手くなっていた。
 そういえば本式の紅茶の淹れ方を教わってから、ずっと練習してたって言ってたっけ?
 卵料理にしてもそうだ。殻をガリガリ噛み砕きつつ食べたスクランブルエッグ、あれは
本来卵焼きになるはずだったのだ。あそこからあの出汁巻き卵焼きになたとすれば、
それは進歩というよりもむしろ進化だ。

「ずっと練習してたから、よ。美紀は不器用だけど、なかなか諦めない性質だから」

 ――つまり。

「木登りも?」
「そう、木登りも。そうして遊んでる頃は祐樹クンと普通に遊べてたんだから尚更、ね」

 いつのまにか一際大きな桜の半ばまで登ってしまった美紀を見上げる。
 服はもちろん木登りの事なんて考えて着ていないから、せっかくのおめかし服がかなり
汚れているっぽい。でも、止める気はもう無くなっていた。
 ここで木に登らなければならない意味はないと思う。美佐江さんの言うとおりに俺の
知るよりも上達しているとしても、アルコールが入っている以上、危険だと思う。
 ただ、それでも。見当違いであっても俺の知らない所で努力をしていたのなら、成果を
見てやりたいと思った。
 それが、俺も酔っているからかもしれないのは理解している。素面だったら、本人に
どんな自信があっても危険がある以上は止めるべきかもしれないものな。でも、子供の頃
は大人が見れば「危険だ」と慌てて止めるような遊びを随分としたものだった……
 膝枕されたまま、二人で黙って樹上の美紀を見上げた。
 その頃には周囲の花見客の中にもその姿に気づいたヤツは居るらしかったが。

「――おい、あれ。誰か桜に」
「あ……あれは、確か喫茶――の」
「美紀ちゃん?」
「そうそう。何してんだ?」
「登ってるのか!」
「ああ、美紀ちゃんだからな」
「美紀ちゃんじゃあ、仕方ないな」
「ハッピーバースディ美紀ちゃん!」

 意味不明の論旨で生暖かくスルーするご近所様ご一行(ステータス:酔っ払い)。
 というか誕生日とかじゃないからっ! いったい人の彼女を何だと思ってるんだこの
連中。いくら酔ってるからといって『デビルマン(邦画)』ネタを振るなんてやっていい
事と悪い事がある。もう二度と秘蔵のデビルマンDVD大上映会は開いてやらねえぞ。
本人に原作読ませたらヒロイン串刺しシーンで半泣きになってたのでいつかもう一度
読まそうと思います、は置いといて。俺、このバイトの給料が出たら
『北京原人 Who are you?』のDVD手に入れるんだ……でもない気がするな。ええと
何だっけ? まあいいや、思い出せないなら大した事じゃないんだろう。
 まあそれはさておき。
 しばらくの後。俺と美佐江さん、それから幾人かの暇人共が見上げる中で。

「祐くーん!」
「おー」

 桜の木の頂上から美紀が手を振っていた。
 素直に感嘆し、手を振り返す。当然のことだが木に登る事なんてもう何年もしていない。
特にアルコール入りであそこまで登れる自信なんて、今の俺にはなかった。だから、
その偉業は素直に認めよう。
 ……降りられるのなら、だが。
 念のために、というよりは単純に喉の渇きに堪えられずに水――は用意してなかった
ので手近の水筒を取り寄せ、温かい紅茶を飲む。酔いは早く醒めるに越した事はない。
いざとなったら俺が登るしかなさそうだし。
 
「大丈夫だと思うわよ? ところで、それ誰が淹れたか判る?」
「すみません。味よく判りまれん」

 そんなもんである。
 美味しいかどうかより、むしろその温かさと甘さが認識される。
 そもそもストレートならさておき、砂糖とミルクのたっぷり入ったミルクティーに
美味しい淹れ方とやらがどの程度効果があるのやら。
 視界はまだぐるぐるしているが、ともあれ二杯お代りして喉の渇きを潤す。
 でも、心配は要らなさそうだった。
 俺の記憶の中ではいつも大木の天辺付近で枝にしがみついて震えていた女の子は、今、
そろそろと慎重にではあるが枝に足を掛け、体重を移動させてゆっくりゆっくり降りに
かかっている。本当に進歩してたんだなあ、とちょっと感慨深かった。
 自他共に認める不器用なヤツなのだ。
 それが。
 卵焼きを美味く焼けるようになって。
 紅茶を美味しく淹れられる様になって。
 そして、木登りが上手くなって。
 これからもどんどん色んな事が得意に成っていくのだろう。あいつは。
 つい、自分の幼少時を思い浮かべる俺。あの頃から何一つ成長してない気がするなぁ……
 軽い自己嫌悪に陥りかけて、危うく踏みとどまる。
 ――いいさ。気づいたなら成長するようにするだけだ。
 ついこの間、隣を歩く美紀と一緒に歩いていこうと、立ち止まらないと決めた所だ。
互いに先へと歩んでも、その道が離れることはないと信じて。だから、前に進んだって
良いんだって。だから、いじけている暇はないのだと。
 まあとりあえずはアルコールが抜けてから、という事で上げかけていた頭を降ろした。
 そうすると後頭部に膝、というかしなやかな女性の脚の感触が――そうか、膝枕されて
たんだったっけ。美佐江さんに。

「ん? どうかした?」
「あ、いえ……何でも」

 覗き込まれて、つい言葉を濁したり。されてて心地いいのが実に後ろめたかったりする。
 同い年の幼馴染の母親、という事はご本人とも幼い頃からの知り合いな訳で、幼い頃
遊びに行った幼馴染宅で眠くなり、二人してこの膝でお昼寝とかした記憶があったりも
するんだけど。……するんだけどさ。
 今の今まで美紀の方に気を取られていた所為で、意識していなかったけど。
が、意識してしまうとなんというか、その……ものすごく気恥ずかしかったりする。
美佐江さんの方はどうやら俺と愛娘がまだ幼かった頃を懐かしんでいるらしく、三,四歳の
頃と同じ扱いで頭を撫でられていたりするのだが、こっちはもはや幼児ではなく十七歳の
青少年なもので。
 今、あの頃と同様にお膝で子守唄など歌われつつ「えへへー。おばちゃんのお膝、
お母さんよりもいい匂いー」とか言いながら頬ずりとかできるかっちゅーねん、というか
若美佐江さん(当時まだ二十代)にそんな事してたんかい幼児俺っ! 羨ましすぎるっ!
 思わず関西弁でセルフ突っ込みを入れる俺だった。関西弁監修はお昼のお笑い劇参考で。
 ともあれ顔が赤いのをアルコールの所為に出来るのはまだ僥倖の部類と言えよう。

「うふふ、何年ぶりかしらねぇ――」

 俺はおおよそ十年ぶりだと記憶している。美紀は知らないけれど。
 大人しく頭を撫でられていると酒精の所為もあるのか、それでも自分の中の緊張が少し
ずつほぐれていくようだった。眠くなってくるのは日々の労働の所為か、それとも
ひょっとすると小さな頃に染み付いた条件反射によるものなのか。
 このまま美佐江さんの膝で寝てしまったら気持ちいいだろうなぁ、と寝返りを――

「祐クン待てーい!」
「――はっ!?」

 などと呆けていたのもつかの間。
 うつらうつらしていた状態から、一気に眼が覚めた。
 膝枕の状態から一気にガバッと起き上がり、辺りを見回す。
 が、途中で思い当たり上を見た。俺を祐くんと呼ぶ人間は世界広しといえども一人しか
いない。
 案の定、比較的低い2m半ほどの高さの枝の上で美紀が仁王立ちしていた。
 なにやらご立腹らしく、こちらに向けて剣に見立てた細い桜の枝をビシッと突きつけて
いる。……ていうか、おまえ桜の枝折ってんじゃねえか! 

「あのなあ美紀。昔から桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿といってだな――」
「そんにゃ事はどうでもいいのー!」

 言論封殺。
 無闇に腕組みをして胸を張る美紀。
 そして、ざわざわとざわめくご近所の皆様の注目を浴びつつ口上を述べた。

「愛しい彼女に目もくれず、安穏として他の女の膝枕にうつつを抜かし、
しまいには寝返りをうって極楽いい旅夢気分。ひと、それを浮気という
……ううう、祐クンの馬鹿ーっ!」
「…………は?」

 脳みそ機能停止。
 1……2……3……再起動。
 深刻なエラーが発生しました。なんてこったい俺のOSはMeだったのか、というのは
さておいて。
 ええと――浮気? 俺が? 美紀的に膝枕はNGなのか?
 ぎぎぎぎ、と首を回して浮気対象者と目を合わす。
 美佐江さんは「まあ」と呟いて小首を傾げ、しばし考えた後にポンと手を打ち合わせ。

「駄目っいけないわ祐樹クン。私には夫と娘が――ああん、許してぇ!」
「判っててやるなあああああっ!」

 全力で事態を面白くしてんじゃねえよっ!
 くねくねと身悶えする人妻はとりあえず放置するとして。

「まあ酷いわ、放置ぷれい?」
「ぷれいとか言うの禁止!」

 娘の人間関係に深刻なダメージを与えたいんですか、貴女。
 ぷれいとか関係なく愉快犯な人妻は放置するとしてっ。
 アルコールによるものかよく判らない眩暈を感じつつ樹上の美紀に目を戻す。

「飲んですぐ運動したから、回っちゃったのかしら?」
「でしょうねえ……」

 生返事を返しつつ、見上げる。

「美紀ちゃーん、一応聞いといてあげるよー。だ、誰だー」
「うっしゃーい! 貴様らに名乗る名前はにゃいのー!」

 先ほどハッピーバースディとかのたまっていた近所の兄ちゃんAを、桜の枝振り回して
威嚇していた。つか、デビルマンだけでなくロム兄さんにも対応してんのか。無駄な知識
ばっかり蓄えてるなあの兄さん。まあお互い様だが。
 それはさておき。

「あー……えーと、美紀?」
「馬鹿ーっ! 祐クンの浮気者ーっ!」

 声をかけたらふしゃーっと猫みたいな威嚇をされた。
 アルコールが回った真っ赤な顔と相まって、どちらかといえば可愛いのだが。
 なにか聞く耳持ってなさそうな。

「誤解だって。聞いてくれよ」
「ふーんだ。どうせわたしは子供っぽくて、お母さんみたいな凸凹も色気もありません
よーだ。祐クンもお母さんの方がいいんでしょー!」

 なにやら積年のコンプレックスが刺激されちゃったらしい。
 どうしたものだか。

「ええと……それは違うぞ、美紀」
「そうよ。無い方が好きという人も多いのよ? 祐クンもほら、ねえ?」
「黙ってろ頼むからっ!!」

 凸凹がないから美紀を選んだんじゃないですから! ……むしろ将来的には育ってくれ
た方がと、密かに祈願ゲフゲフいやなんでもない。
 ともあれ、子供っぽい外見を気にしているのならせめて行動だけでも淑女らしくして
くれればいいのになあ、等と考えても酔っ払いには通用しそうにないし。
 どうしよう?
 打開策、思いつく事はないでもない、けど。
 覚悟。花見中の野次馬もといご近所の皆様の前で、アルコールに誘発された痴話喧嘩
もどきの打開策を打つ覚悟。
 美紀が望む答え。けど……しかし……なあ。
 ………………………………マジ? 本気で?
 酔った頭をぐるぐると回る懸案事項。しかし何らかの落とし所は居るよなやっぱ。
 ――いいか。嘘じゃないしな。酔った勢いを借りればなんとか。たぶん。
 覚悟を決めて立ち上がり、やや覚束ない足元を気にしつつ周囲を見回すと、ご近所様
ご一行がそれぞれ、それぞれの表情でにやにやと見守っていた。
 ああ、俺を茶化そうと(本人的にはたぶん声援を送ろうと)口を開けた八百屋の親父が、
「しっ、今いいトコなんだから」と美佐江さんに窘められてら……まるきり観戦モードに
入ってやがるな。このまま逃げを打ったらブーイングと座布団くらいは飛んできそうだ。
 正直、泣きてえ。あとで何を言っても、顛末をべらべらと触れ回るんだろうなあ、
この連中……ええい気にするな。俺は酔っている。かけつけ四杯で酔っているんだ。全て
はアルコールの所為だ。あとでどれだけ恥辱に悶絶しても、酔っていたから仕方ない。
仕方ないんだ。
 ほら、今も半分千鳥足だし。
 火照った顔がまったく真っ赤なままから戻ってないし。
 自分でもなんだか酒臭いのは理解してるし。
 頭の中でぐるぐると言い訳を捻りながら、美紀の立つ枝の真下まで移動。
 そこから上を見上げて。

「美紀」
「何っ! 言い訳なんて――」

 しごく真面目に告げた。

「パンツが見えている。ストライプの」
「ええっ!」

 慌ててスカートの裾を抑える美紀。
 しかし不安定な足場で酔っ払いが両手でスカートを抑えれば、当然――

「わわっ!? きゃああっ!」

 落下した。
 周囲からも息を呑む悲鳴が上がる。
 ――が。
 その為に俺が今、ここにいる。

「よっ、と」

 酒精の分やや危なっかしかったけど、首尾よくぽふっとキャッチ成功。
 美紀が未だ握り締めたままだった桜の枝が俺の鼻をピシッと打って行ったけれど、
そのくらいはまあ仕方が無い。
 今、事態の変転についていけずにきょとんとした顔の俺の彼女は、こうしてお姫様
抱っこで俺の腕にすっぽりと納まっていた。

「美紀――」
「え?」

 びっくりした顔のまま、俺を見上げる美紀。
 俺は酔っている。酔っているんだ。酔っているから仕方ないんだ。何を言ったとしても
それは全てアルコールの所為なんだ。寝て起きたら忘れてるに違いないから何を言っても
問題ないんだ。顔が赤いのは全部冷酒をあおったのが原因なんだ。今もどんどん血液が
頭に昇って行ってる気がするけど血中アルコール濃度が上がっていってるだけなんだぜ。
 そこらの耐震偽装よりも稚拙な自己欺瞞を施しつつ深い呼吸で息を吸い込む。
 ……い、言うぞ? いいのか? 本当にいいのか俺? はっきり言うのはあの時以来
だぞ? 本当に言わなきゃならんのか? こんな観客付きで? もっとシチュとかムード
とかを大事にええと……ああもう、ここで照れたら元も子もないだろうが。こんなもん
勢いだ! 嘘じゃないんだからさ。
 逡巡を吹き飛ばす様に、一息で腕の中の彼女に告げた。

「お、俺は、おまえが一番好きだからっ」
「――ッ」

 腕の中の身体が息を呑んで固まる。
 代わりに後ろで「うおおー」とか歓声が上がってるがなっ。しかも複数っ。
 いっそ、本当に泣きたい。
 「ははぁ、初々しいネエ」「私も20年若かったらねえ」「へっ、30年の間違いじゃ
ないのかサバ読みやがふががっ!」「20年よね、ア・ナ・タ?」「ひへへへっ、15年
前! 15年前のお前にそっくりだよ!」「まあアナタったら、美紀ちゃんが10年前の
私にそっくりだなんて、照れるわ」「いや、それはサバ読むにも程がグギャアッ!?」
 漏れ聞こえる安いドツキ漫才は余所でやってくれないか魚屋夫婦。
 閑話休題。
 ……ええい、そっちは気にするな俺っ。羞恥ぷれいは覚悟の上だったんじゃないのか。
たとえ二度目であろうとひしめき合ってる野次馬連中のまん前で彼女に直球告白するなんて、
おおよそ《羞恥ぷれいLv.3》ってな荒業なのは判ってたはずだろう。
 どこまで目撃談が広まるのやら、ああ、明日になるのが怖い――
 が、それはさておき続きっ。

「こ、こんどひゃっ」

 ――噛んじゃったーっ!?
 不自然な気まずい沈黙が二人の間を通り過ぎて行ったり行かなかったり。
 駄目だ落ち着け気取られるなテンパるな深呼吸をしたいとこだがそんな余裕はない何事
も無かったかのようにあくまで爽やかにさり気無く押し切るんだチェィィンジ、
リテイクわんっスイッチオン!

「今度は美紀に膝枕をして欲しいんだけど、駄目かな?」

 引きつりそうな顔にむりやり爽やかな笑顔(らしき何か)を浮かべて、言いきった。
 他に思いつかなかった自分をちょっぴり呪う。ご近所連のいい晒し者になってる事実は
振り向かない。やむを得ないというものだこれは。

「え、えと……」

 そして、腕の中で固まっていた美紀がこの頃になってようやく再起動した。
 酒精の所為かその他の理由の所為か、俺と同じくらい赤い顔のままで目だけがうろうろ
とあちこちを彷徨う。
 その瞳がようやく俺を上目遣いで捉え、そして小さな声でボソリと。

「……い、いいけど」

 ――っしゃあ! 切り抜けたっ!
 内心でそう歓喜の声を挙げて万歳したって誰も俺を責める事はできないよね?
 しかし歓喜は早計で、この肯定には続きがあったことを俺はこの直後に知ることになる。

「でも……」

 その前に、と美紀は囁いて。
 そして腕の中の俺の彼女は、真っ赤な顔のまま目を瞑り、ン、とこころなし顎を上げた。
 ………………………………
 ………………………………
 …………………………マテ。
 こ、これはまさか、というか他にないんだけども――まさか、今、ここでかっ!?
 つまり。

 彼女の要求:公衆の面前でキス《羞恥ぷれいLv.8 バカップルの称号取得》

 なのかっ!?
 何故!? 神様、俺、何かそんなに悪い事しましたか!?
 ああああ、何か後ろの観客席(隣のブルーシートの事である)の方からどよどよと
低いどよめきが聞こえてくるっ。どんな羞恥ぷれいだこれは! というか何の罰ゲーム
なのか、誰か教えてくれなさいっ。
 いったい何で、今、ここでっ!?

「だってこの前、続きはまた今度って――なのに、あの後ぜんぜん……」

 驚愕の真実発覚。本当に罰ゲームだった!
 ええ、はい。確かに一月ほど前の勉強会の時に中途半端になってから、その後うやむや
にしちゃってましたが。
 真っ赤な顔で目を瞑り、俺の行動を待つ彼女の表情に、そこはかとなく積もりまくった
鬱憤を感じるのははたして気のせいなのだろうか……
 というかさ……するの? 俺……今ここで? え、マジ?
 
「……いやなの?」

 ちょっとだけ目を開けて不安そうにそう言われたら、もう王手だよなぁ……
 そもそも嫌ではないのだ。もちろん健全な青少年としての欲求はあるし、彼女が出来て
当然ああもあるだろうこうもあるだろう、みたいな馬鹿な期待もぼこぼこ膨らむのを自制
してるのだし。不器用にも本当に機会を捉えそこなってただけなのだが。
 だから、それだけならやぶさかではないのだけど。
 ないんだけどさー。
 「そこだ、行け!」「押し倒せー」「はっはっは。祐樹君、避妊はエチケットだよー」
等と小声で声援を送られる環境なのが――って、まだ避妊とか必要ないからっ!
 ああいや誤解を避ける為に言っておくけども、今すぐ美紀との子供が欲しいって
言ってるんじゃなくて俺達はまだプラトニックだから必要ないというか、将来的には
そりゃ二人くらい、じゃなくてさっ。いったい何をどこまで期待してるんだ近所の
兄ちゃんA。ほら、美佐江さんにビシッとつっこみチョップを入れられてるし。
 まあそういう後ろの背景ズは横に置くとして。
 脳みそから野次馬どもを追い出し、書き割り同様の扱いとする。あいつらは存在しない。
今、ここに居るのは俺と美紀の二人だけ、二人だけ、二人だけ……
 一心に自分へのまいんどこんとろーるを施す。
 世界は二人の為にあるんだもん。
 だって、ねえ?
 やっぱり、毒食わば皿まで、でしょ? 遅れていた約束でもあるし。

「嫌じゃない――むしろ、俺がしたい」

 だって、そうじゃないか。
 大きな桜の樹の下、はらはらと桜の舞い散る季節。
 お姫様抱っこで俺の腕に納まり、身体を預けてくれる彼女。
 この存在を、この体温を愛しいと思って、キスしたいと思って何が悪い?
 ふと、そう思ったんだから仕方ない。すとんと気持ちが落ち着いた。
 障害があるなら超えてやる。無視して済ませられるならそうしてやるさ。
 バカップルの称号なら甘んじて受けてやるとも。
 たとえアルコールの所為だとしても、今、そう思ってるのは本当だから。
 胸の中の想いを、思いのままに。

「俺の首に手を――」
「うん」

 美紀の細い腕が俺の首に巻きつき、自らの身体を持ち上げる。
 そうして、心なし幸せそうに目を瞑った美紀に俺はゆっくりと顔を近づけて――
 ――ひと月遅れのキスをした。
 咲き乱れた桜の花がはらはらと降り積もる、ほんの少しだけ肌寒い日射しの中。腕の中の
重さとぬくもりをしっかりと抱き寄せて。俺たちが生まれる前からここにあった一際大きな
桜の樹の下で、何かを誓う様に、確かめるように、俺達は口づけを交わしていた。





 これで歓声とか拍手とか、携帯で撮影してる音とかが聞こえてこなけりゃあ、なあ……
 つか、撮影だけはマジ勘弁して欲しいと希望。










 /

「お疲れ様」
「マジで疲れました……」

 笑いを噛み殺した様な美佐江さんに差し出されたコップを受け取り、一息に煽る。
 今度こそ正真正銘の冷たい水が、喉から胃袋へと心地よく流れ落ちていった。
 あの後。
 寄って集って商店街連合の皆様からの「祝杯」を受けて、てんやわんやの事態になった。
 いやもう、日本酒やらビールやらどこから持ち出したのか秘蔵のウイスキー水割りまで、
ちゃんぽんで延々飲まされまくったのである。
 まともに付き合ってはとても身体が持たないので、悪いとは思ったけど飲む端から
トイレに駆け込んで全部ぶちまけていた。ついでにくすねたペットボトルの水で胃洗浄
めいた事も併用する。
 そのおかげで摂取量の割に、俺の意識はそれなりに保たれている。
 一方、美紀の方はと言えばすっかり回ってしまって倒れてたりした。今現在、先ほどの
約束とはさかしまに、俺の膝に頭を乗せてすうすうと寝息を立てている最中である。
そのうちどこかで約束どおり膝枕させてやろう。今回の報復にできるだけ恥ずかしい
シチュで……って、それをやると自動的に俺も羞恥に悶えることになるんだけど。
 陽もかなり翳りを見せていて、近所の面々はそれぞれ帰途についたり二次会へと出かけ
ていって、周囲はすでに閑散としている。俺たちも美紀が起きれば帰れるのだけれど、
あんまり気持ちよさそうなのでしばらくこのまま待つことにした。
 何となく手持ち無沙汰に美紀の前髪などを弄っていると。

「ごめんなさいね、思ったより大騒ぎになっちゃって。やりすぎたわ」
「あ、いえ」

 いきなり美佐江さんに頭を下げられて慌てた。
 ああ、そういえば最初は美佐江さんにお酒を飲まされたのがきっかけだったか。まさか
こんな風に話が進むとは、ご本人だって考えてなかったに違いないけれど。
 お酒を飲ませたお茶目については、まあ謝ってもらってもいいかな、と思うところ。
俺も流石にそこまでいい人一直線ではないし。でもその後の事については美佐江さんの
責任ではないだろう。自分の行動には自分で責任を持たせて欲しいと思う。もう幼児の頃
とは違う、そういう歳なのだと自覚はある。
 けどまあ。

「その割には、全力で楽しんでませんでした?」
「あら、おほほほほ……」

 ……あれは、誤魔化してるつもりなのだろうか。
 半眼で見やる俺である。
 それに気づいた美佐江さんはごほごほと咳払いして取り繕う。
 そして俺の膝で眠る愛娘を見詰めて、改めて口を開いた。

「この子は本当になかなか諦められない性質だから」
「美味しい紅茶の入れ方も、美味い卵焼きを焼くのも、木登りも?」
「ええ。紅茶も卵焼きも木登りも――それに初恋も、ね」

 柔らかに愛しそうに微笑んで「この子、不器用だから」と付け加える。
 ……やっぱり、そうなのか。薄々そうじゃないかとは思ってたけれど。
 一番最初から何故か懐かれていたから、そうじゃない時期というのが無かったから、
そこの所には確信が持てなかった。それとも鈍い俺が気づかなかっただけで、俺に対する
接し方が微妙に変わった時期があったのだろうか。正確なところは本人に聞かなければ
判らないだろう。
 まあ、聞く気もないけどさ。

「だから心配はしてたのよね。諦めなきゃいけない事になったら、どうするのかって」

 俺はいったい何と答えればいいのだろう。
 いや、答えなきゃいけない事じゃないんだろうな。ただ聞いておけばそれでいい。
 だから何も答えず、ただ俺の膝で眠る彼女の前髪を撫でていた。

「頑固。不器用。諦めが悪い。なのに思い切った行動だけは、本当に思い切りがいい――」

 そんな俺と愛娘の二人をただ眺めて、美佐江さんは柔らかに微笑む。
 一つ一つ、愛しそうに指折り数えながら。

「――本当に、この子が好きになったのが祐樹クンでよかったわ」
「ええ」

 そこの所は明確に頷いた。
 本当にそう思うから。
 今、俺は美紀が心の底から好きだから。
 だから美紀が俺を好きでいてくれて、本当に良かったと思う。
 俺とじゃなきゃ幸せになれないって事はないだろうけど、でも俺が俺の手で幸せにして
やりたいと心の底から願う相手だから。
 多分に利己的ではあるけれど、だから、本当によかった、と俺は思っている。
 そんな真意をとりたてて説明したりはしなかったけれど、頷いた俺と目を合わせて、
美佐江さんはこう言った。

「祐樹クン、これからも美紀の事をよろしくね」
「任せて下さい、こいつは俺が幸せにしてみせますから」

 本心から言い切った俺に、美佐江さんは嬉しそうに頷いた。
 ……のは、まあいいとして。

「美佐江さん」
「え?」

 とりあえずそっと膝の上の美紀の頭を慎重にシートの上に移す俺。
 そして、おもむろにとりゃっと美佐江さんにタックルを敢行。

「きゃっ! ……駄目よ祐樹クン。私には夫と娘が――ああん、許してぇ!」
「それは二度もやるネタかっ!?」
「祐樹クン、繰り返しは基本なのよ?」
「何の基本ですか何の! いいから大人しく出してください!」

 馬鹿を言い合いながら人妻の身体検査をする俺。
 ちょっと照れるが手を止める訳にはいかぬのじゃ。
 そして案の定、携帯サイズのボイスレコーダーが見つかるし。ふ、やはりな。
 とりあえず録音された俺の台詞は全消去です。

「ああん、せっかく取ったのに……うぅ、祐樹クンがどんどん手強くなっていくわ……」
「いったい誰が鍛えてるんですか、誰が」

 ……俺、こういう方面に成長したかった訳じゃないんだけどなあ。










 /

 シュルルルル……
『任せて下さい、こいつは俺が幸せにしてみせますから』

「うふふふ、でもあそこでお母さんしか身体検査しない辺りがまだ甘いよね、祐クン」


 結論。
 カエルの子はおたまじゃくし。
 そろそろ後ろ足が生えたとかなんとか。





                               <了>










  後書き

 はい、また一次の三題話でございます。
 紅茶から続く3つ目の話になります。
 今回の出題者はJinroさんで、お題は『剣』と『初恋』と『流行歌』でした。今回は
いま一つお題を有効に使えなかったのが申し訳なく思います。……が、剣が無ければ
こんな話にはならなかったんですけどね。しかしこのタイトルって事は
作中の流行歌って……アレなんじゃろうかなぁとか(苦笑
 なお今回は製作コンセプトが別にありまして、それが「直球系の話」でした。
 ……出来上がったものは直球というよりもむしろ羞恥に悶える何かですが、
まあギリギリ直球系かなぁ、と。ハイ。主人公は今後とも苦労するでしょうけど。
 それではここまでお読みいただきありがとうございました。





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