あめときどきワナ
権兵衛党
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雨が降っていた。
朝から降り続く雨は夕暮れを過ぎた今もなお降り続いている。遠い喧騒は雨音に溶けて
消え、世界を小さく縮めていた。
その所為なのだろうか、時間が穏やかにゆっくりと過ぎていくような気がするのは。
置き時計の秒針が、微かな音を立てて回っていく。
通いなれた幼馴染の部屋。
目の前ではその当の本人が懸命に宿題に取り組んでいた。
ああ、今はもうただの――ではない、はずだけど。
既に終わらせた俺はその光景をただぼんやりと眺めている。
美佐江さんの夕食も馳走になり、肩の荷も降ろした安らぎの時間。
シャープペンシルの走る音が時折迷い、どうにかノートを埋めていく。それが終わるの
を待つのは、俺にとっては苦痛ではなかった。
穏やかな感情に任せて目を閉じる。
聞こえるのは降り続く雨の音。
ゆっくりと回る時計の秒針。
ノートを埋める筆記具の滑り。
そして、慣れ親しんだ幼馴染の存在。
暖かい照明と相まって、自然な心地よさを感じさせる空間。
このままの時間がずっと続くのも悪くないな。
そう思った矢先、今までどうにか続いていた筆記音が止まる。そしてそのまま沈黙。
ははぁこれは……
「――祐クン、ここ判んない」
目を開ければ案の定というか、瞳をうるうるさせた美紀がいた。
えへへと笑いながら俺に助けを求める。その手に握られたシャーペンは、とある計算
問題を指し示している。
それを確認して一応自分のノートと参考書をぺらぺらと。
うん、これなら問題ない。完璧に正しい解法を示すことが可能。
美佐江さんにも美紀の勉強みてやってねと言われている。だから、すぐに教えてやって
もよかったのだけど。
「ダメ。自分で考えてみろ」
「ええーっ」
あえて自力でやらせてみることにした。
これも美紀の為を思えばこそである。決して面倒臭いからじゃない。
とりあえず祐クンひどーい、とかオニあくま外道やくざー、とか盛んにブーイングを
飛ばす美紀を手で制して、と。
……というか誰が外道か。言っておくが俺を倒してもベレッタM92Fなんて落とさない。
ましてマグネタイトやら「やくざを殺して平気なの?」なんて……真Tの序盤は世話に
なったなぁ、外道やくざ&ちんぴら。
それはさておき。
「おお勇者ミキよ、その問題は自力で解かねばならぬ。これは試練なのじゃ」
ノリがついついファンタジー系RPG風になったりする。
ちょいと外道って種族がどうこうなRPGからは外れる芸風だけどな。
しかしこの問題は公式を探し当てれば比較的簡単に解ける代物なので、是非とも自力で
解いてもらいたいと思うのだよ。
むーっとこちらを上目遣いに見ていた美紀だが、やがて溜息をついてノートに戻る。
よし諦めたっ、と思ったのもつかの間。
「試練だったら……ご褒美欲しいなー」
白紙のノートからちょっとだけ顔を上げて、そんな事を言いやがる。
むう、そうきたか。
しばし考える。普段なら、調子に乗るな馬鹿者とでも言ってデコピンを食らわす所なの
だが。
けれど。
なんとなく、聞いてやってもいい気がした。
特に理由は無いけど、そんな気分だった。強いて言うなら詰め込んだ夕食の満腹感と、
降り続く雨の所為ということで。
聞くだけは聞いてやってもいいかって程度だし、もちろん限度はあるけどな。
言っておくが俺の財布は限りなく薄いぞ、と情けない事を暴露したところで。
「何が欲しいんだ」
訊ねると、美紀は不思議そうに小首を傾げて。
「…………でこピン?」
「よーし、よく言った!」
右手に思いっきり力いっぱい溜めを作って美紀の額の前に移動させる。
そしておもむろに秒読み開始っ。
「十、九、中略サンニぃイチぃぃぃぃっ!!」
「わわわわ、待って! 違うの! ていうかそのカウントの仕方なにーっ!?」
目をつぶって額を両手でかばいつつ叫ぶ幼馴染。慌てて後ろにずり下がろうとして
ひっくり返ってたりする。
うむうむ、楽しいなぁこういうの。
で、ググッと溜めた指はそのままに。
「で、何が違うんだって?」
「だって祐クン、いつも調子に乗るな馬鹿者ってデコピンするじゃない! だから不思議
に思っただけでデコピンが欲しいんじゃないってば!」
律儀に額を抑えて目をギュッと閉じたまま説明している様は可愛いと思わなくも無い。
しかし俺そんなにいつも美紀にデコピンしてたっけ? ……してるな、たくさん。今後
はちょっと手加減してやることにしておこう。だから、いい加減に額を抑えたまま丸まっ
てガタガタ震えるのはやめてくれなさい。ものすごい罪悪感に駆られるから。俺が。
このままにしておく訳にもいかないので、指を引っ込めて話を元に戻す。
「ゴホン……それで、本当は何が欲しいんだって?」
促すと、恐る恐るという感じで目を開いた美紀がまだちょっとこちらの様子を伺いなが
ら元の席に着く。
そこまでびびる上でそれが来るのを予想してたんなら、最初からデコピンされるような
事止めておけばいいのにと思うが。とは思うが、そこはそれ。ひょっとすると実はこれも
俺に罪悪感を覚えさせてご褒美とやらの制限範囲ワンランクアップを狙った策略かもしれ
ん。こいつ、これでも時々お茶目が過ぎる(事もある)『あの』美佐江さんの一人娘だか
らなぁ。悪気も無く天然かつナチュラルに策に嵌められる事が稀にある。油断出来ん。
「……わたしの、欲しいもの。え、ええとね――その」
その美紀はといえば。
下を向いてなにやら言い出しかねているようだった。
俺の見る限り、こいつ、俺がダメだしするものと決め込んで特にご褒美の具体的な案は
なかった筈。少なくとも、言い出したときには。
しかし、どこかの時点でもう思いついている。それも確かだ。
「その?」
「う、うん。ええと、ね」
身を捩りつつ、言いよどんでる。
いったい何を要求するつもりやら。そっと懐の財布に触れて、残高を思い返す俺である。
流石に宿題一問程度でたいした要求されないとは思うが。
これが罠でなければ――
「チューして欲しいな」
――しまった、孔明の罠だ。
いや、特に意味は無い。単なる俺の実感である。
もしこれが心象風景であれば。
ジャーンジャーンジャーン げぇっ関羽!
となる所だが、一言で適切に表現するならばやはり前者であろう。
……といった現実逃避はともかく。
ど、どうすればいい? 何と答えれば……ええと。
混乱したのは確かだ。けれど、戸惑うべきではなかった。
もし、本当に今を理解していたのなら。
返答に詰まった。
「祐クンは、わたしとキス、したくないの?」
答えられない俺に言い募る。何でこんな、急に。
いや、したくない訳じゃない。そういう訳じゃないけど……
「美紀、下には美佐江さんもいるし――」
「大丈夫だから! お母さんは、この時間お風呂だから!」
逃げ口上は、かき消される。
雨の降り注ぐ音が部屋を支配する。
その中に、微かに出所の違う水音が混じっている。きっとシャワーの音だろう。
そんな事はどうでもいい。
正直、意表を突かれた。
こいつがこんなはっきりとした事を言うとは、夢にも思っていなかった。
言葉を失って見詰めると、上目遣いにこちらを伺う視線が不安に揺れている。
「……大丈夫だから、お願い。もう、あの時が夢だったんじゃないかと思うの、やだ……」
それでも俺から目を逸らす事は無く、手をギュッと握りしめて俺の返事を待っていた。
――不安、だったのか。
先ほどとは違う後ろめたさを感じる。
変わったはずの関係。それなのに、驚くほど変わらない関係。
慣れ親しんだ、これが自然と思える関係が、心地よかったから。
だから俺は何も変えようとはしなかった。急いで変えなくても、ゆっくり行けばいいや
と思っていた。そう思っていた、つもりだった。
けれど。
でも俺はあんまりにも、頑なに、変わったはずの関係から目を逸らし続けていたのでは
なかったか? 壊れるのが怖くて、今を保とうとやっきになっていなかったか?
それは、俺がそこに立ち止ることは、新たな一歩を踏み出したと信じる、隣を歩くこい
つとの距離を離すのに。
幻ではなかったかと、不安にさせてしまうのに。こんなに必死にさせるほど。
また、雨が強くなった。
やまない雨と、時計の秒針が刻む音。この部屋の中でそれだけが変わらない。
お前を大事にしたいからとか、言い訳はいくつも思いつく。けど。
ほんの少し覚悟を決めた。
いくら変わった所で俺とこいつには違いない。なら、きっと大丈夫。俺が俺で、美紀が
美紀である限り。
「問題が解けたらな」
「――え?」
いつの間にか俯いていた顔があがる。
その顔をしっかりと見て。
「褒美なんだろう? そいつが解けたら、チューしてやる」
はっきりとそう言った。
見る間に美紀の表情が変わり、そして泣きそうになる。
「ほら、泣いてる暇は無いぞ。制限時間は美佐江さんが風呂から上がってくるまでだ」
「う、うん」
やれやれ、今泣いた鴉がなんとやら、かね。
慌ててノートと教科書を見比べ始めるのに苦笑して、俺は時計に目を移す。
時計を止めても現実の時間は進む。
止める事は出来ないし、そもそも自分で踏み出した事だしな。いつかは、こうなってた。
なら、今すぐだって構わない。
やがて雨音に筆記具の滑る音が混じり始めるのを、俺は時計を見ることに専念しながら
聞いていた。
「出来たよ!」
やがて、そんな嬉しげな声が耳に届く。
「ん」
短く答えて自分のノートを開いて詳細に見比べる。
そして、結果の発表。
「正解だ」
「やった!」
目の前で小さな身体が万歳した。
ちょっとホッとした。俺もここまで覚悟を決めておいて不正解ってな結果に終われば格
好がつかないという物である。いやここまでってほどの事ではない気もするが、
気分だ気分。
まあ何はともあれよく頑張ったな、と頭を撫でてやりたい所ではあるが……今回の
ご褒美はそれではない。
「祐クン、ご褒美」
「分ってる――本当にいいんだな?」
やや緊張気味にコクリと頷く美紀。
俺だって動悸がちょっと早くなっている。
この期に及んで一応物音を確認し、シャワーの音が未だ途切れていない事を確かめる
辺り小心だなあ俺、とも思わないでもないがともあれ邪魔は入りそうに無い。
それを確認して、ゆっくりと机の周りを膝立ちのまま半分巡る。
すぐ目の前、触れられるところに美紀がいた。
「上手くなんて、出来ないぞ?」
「うん、いい。祐クンだもん」
その頬にそっと手を当てて僅かに上を向かせる。
もう一方の手で肩を抱き寄せ、ゆっくりと顔を近づける。
俺たちの関係を、一歩だけ進めるために。
「美紀……」
「祐クン……」
互いの名を確かめ合い。
ゆっくりと目を閉じていく。
世界が触れた箇所から伝わる体温と雨の音だけになり、そのまま――
ガタッ
「「どわあっ!」」
――思いっきり飛び離れた訳ですが。
どっと吹き出た汗に塗れながら、目を開けると壁を背にした俺と同じく正面の壁にへば
りつく様に、美紀。
そして二人してギギギとぎこちなく首を曲げると。
「……あ、あははは。美紀、お風呂空いたわよー……」
扉の所に覗いていた野次馬が一名。別名、幼馴染兼恋人の母親。
髪にタオル&身体にバスタオルという艶姿で転がっておりましたとさ。
とりあえず問答無用でそのデジカメは没収です。
「ああん、披露宴で二人の軌跡としてお披露目予定なのにっ」
「ちょっと待てぇぇぇっ!?」
美佐江さん、気が早すぎ。
「ええっ!? …………祐クン、子供は二人ぐらい欲しいかなー」
お前も立ち直るの早すぎ。
そして本日の真・孔明の罠:未だに出しっぱなしのお風呂のシャワー
「敵がどの情報から状況を把握しているかを察知できれば、それを逆に利用して認識を
錯覚させる事は簡単なのよ〜」
まあ確かにまんまといっぱい食わされた訳ですが。
いや、貴女は自慢げに解説してないでさっさと服着てきてください。湯冷めします。
あとシャワーとっとと止めに行けや、ガス水道代が勿体無いだろうが。
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美紀が「じゃ、じゃあ私、お風呂入ってくるね!」とバタバタと出て行った後。
うやむやの内にここらが潮時かと自分の家に帰る事として、あれこれと片付けてから
玄関に向かった。
「あれ、もう帰るの?」
そこで風呂上りの美紀とぶつかりそうになる。
こういっては何だが、猫柄パジャマ姿の美紀は年より幼く見えて何やら可愛い。同級生
の筈なのに普段そこはかとなく感じてる犯罪者意識がいや増す情景ともいうが。
「ああ。もうって言うけど、それこそもう結構な時間じゃないか」
垣間見える応接間の時計を確認するが、やはりこれ以上居残るのは非常識に類する時間
だと思う。宿題の方もほとんど片付いたのだし、ここらで切り上げるしかない。
「――そっか」
ちょっと気落ちした様な、もどかしげな返事だった。
女の子の風呂にかかる時間なんてデータは俺には無いが、それでもかなり急いで出てき
たことは分る。
結局肝心なところでうやむやになってしまったし。
とはいえどうしようもないんだよなぁ。
じゃあなと告げ、靴を履いて玄関を出る。途端に雨の音が強くなり、ひんやりとした
空気が纏わりつく。
傘を手にしてふと後ろを向けば、美紀が俺の裾を掴んで立っていた。
「ほら、はやく戻らないと湯冷めするから」
「――うん」
返事はする。
でも、動かない。
一日中降り続いたにも関わらず雨足は弱まることはなく、むしろ激しさを増している。
日中ですら頼りなかった気温は、陽が落ちてからどんどん下がる一方。
玄関上のひさしが雨粒だけは防ぐとはいえ、パジャマ姿なんかで外に出ていい天候では、
決してなかった。
それなのに、促しても動かない。
最後うやむやになったのは俺の所為ではないが、でも。
――止むを得ないか。
「美紀」
「え?」
俯いていた顔が、上がった瞬間に。
その額に口づけた。
「わっ、え?」
あわてて額を押さえ、目をぱちくりとする美紀。
ちなみに身長差のせいで、不意打ちでは額でないとし辛いのである。立ってるなら
背伸びしてくれないと無理だ。キスって共同作業なんだなぁと奇妙な実感。
それはさておき。
うお、柄にも無いことした所為か、顔面に血が昇ってきた。
これはいかん。マズい。
「い、いいか。すぐに暖かくして寝てしまえ。続きはまた今度だ!」
それだけ言って、それじゃっとシュタッと手を上げて雨の街へと走り出す。
何やってんだ俺! 顔から猛烈に火が出るようだぜ!
顔面が火照るままにヒートアップヒートアップ。
わはははっ、吹けよ風! 呼べよ嵐! 時代が俺をっ導く限りぃ無敵さぁぁぁぁっ!!
結局降り続く雨の中、しぶきも水溜りも蹴散らして衝動のままに自分の家まで爆走し続
けたという本日の顛末。
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次の日。
今日は昨夜とは打って変わって快晴である。あーあー、本日は晴天なり。天気晴朗なれ
ど原敬。いや違った、波高し。
しかし俺はぶっ倒れていた。
「……38度、3分」
原因は考えるまでも無く、昨夜調子に乗って傘を持っているにも関わらず愚かにも雨の
中を爆走したのが原因である。つまり完璧に自業自得で疑う余地は寸分も無い。
熱もあれば咳も出ていてこうなれば一日ゆっくりと休養をとるしかないよなあ、などと
既に家人の出かけた静寂の中で思っていたところ。
「ん?」
唐突にダダダダッと階段を駆け上がってくる足音。
うおっ、空き巣か!? と思う間もなく、予期せぬ伏兵の敵襲。
ジャーンジャーンジャーン!
「祐クン! お母さんが祐クンのお母さんから聞きこんだんだけど風邪だって!? もう
大丈夫、私がしっかり看病してあげるから! あ、そうだ、とりあえず汗拭かないと!」
一気に捲し立ててガサゴソと持参した大荷物を探る幼馴染。
その光景を余所に、事態について行けない俺の心象風景ではひたすら銅鑼の音が鳴り響
いていた。
突っ込まれるのを承知の上で、とりあえず一言正直なところを言わせて欲しい。
その登場を一言で言うならばやはりそう、ジャーンジャーンジャーン。
――げえっ、関羽。
「何か言った祐クン?」
「別に」
いや、感謝はしてるんだがね?
「お母さんの作ってくれたお昼が……あれ、スルメに昆布にかつお節がノシ付きで」
「まて、それは孔明の罠だ」
結納品じゃねえか、それ。
<了>
後書
まず最初にお断りを。
今回出てきたキャラクター達は前回の一次掌編『紅茶と珈琲競作』企画と同じ面子です。
ですので、この話を読む前にそちらを参照されることをお勧めします。時間軸的にはあち
らが前の話ですし。……というか前回母親のキャラのみで話を作ったので、娘の方もなん
とかしてやらんとなぁ、と思ったのが今回の話の主旨でした。いやいや、書いてみて
びっくりでしたよ? こいつらこんな性格だったんかいと一番驚いたのは、何を隠そう
筆者です(苦笑
シチュエーションとしては色々特殊にすると説明が冗長になるので、読者が想像するの
に容易いだろう如何にも古典的VN型ギャルゲーにありそうなシーンを切り取ってきたと
いう。
今回はオチもタイトルもいまいちインパクトのあるものが思い浮かばなくて苦悩しまし
た。それでもオチは形だけでも整えましたが、いやタイトルに悩んだ悩んだ。何の知識が
役に立つやら分かったものじゃないのが創作の世界です。
以上。
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